205 Young St.
Fitzroy
Melbourne
Australia
3065

OPEN 12-6PM THURS-SAT
y3kgallery@gmail.com
(+61) 401 12 12 12
(+61) 419 57 92 17


James Deutsher & Joshua Petherick ' Deutsher and Petherick'

James Deutsher and Joshua Petherick
Deutsher & Petherick


OPENING SAT 12 FEB 6-8PM
all welcome!

EXHIBITION RUNS UNTIL SAT 5 MARCH

Y3K

205 Young St.
Fitzroy
Melbourne
Australia
3065

OPEN 12-6PM THURS-SAT
y3kgallery@gmail.com
(+61) 401 12 12 12
(+61) 419 57 92 17

































SANAA/Clay Feet the color of Bacon Bits

今回のSANAA/Clay Feet the color of Bacon Bits’展は、僕にとって初めての東京の個展です。東京を訪れ るのはこれで5度目ですが、今回この貴重な機会をいただけてうれしく思っています。本展を開催するにあたり、様々なこと――贅沢にかんす ること、たびかさなる失敗、理想と現実のギャップ――からヒントをもらい、自分の直感に従って作品を制作しました。

Clay Feet について

まず、イザベル・グロウの言葉”The values of art rests on clay feet.” を出発点としま した。文字どおり受け取ると、「アートの価値の基盤は粘土の足である」というふうに読めますが、「アートの価値の基盤はもろいものだ」と いう意味です。(clay feet =「粘土の足」「もろい基盤」)僕は、その両方の意味 で彼女の言葉を参考にすることにしました。

万国共通、明確な「醜い足」の代表として、僕は自分の足(feet)をモデルにし て、粘土(clay)で彫刻を作り始めました。しかし、作り始めてすぐにこれは失敗だっ たと気が付きました。自分の作っているものが、ただの醜い彫刻にしか思えなかったのです。自分ひとりでは、満足のいく彫刻が作れませんで した。それでも、人間の醜い足を作ることは諦められず、プロの職人に依頼し、ガラス繊維で本物そっくりの僕の足を作ってもらうことにしま した。そのために、まず足の写真を何枚も撮りました。(靴をはいた状態、ぬいだ状態。靴下をはいた状態、ぬいだ状態。長ズボンの裾が写っ ている状態、写っていない状態。裸足の状態など)次に、粘土の足(clay feet)を作り、それを 型にして、ガラス繊維を成型しました。それから、写真の足に合わせ、スプレーで色付けをしました。

Got the new Benz the color of bacon bits,
I got a spot in every state dalmatian bitch

ある日、制作スタジオの前で、ガラス繊維の型に使った粘土の足(clay feet)が、ぬかるんだ泥のなかに捨ててあるのを見つけました。半分壊れかけ、変形し、ごみのように扱われているこの粘土 のかたまりは、もともと僕の足をモデルに作ったんだと主張するべく僕はそのぬかるみに足を踏み入れました。その瞬間、僕は自分が哀しい英 雄になったような気がしました。純粋な贅沢感と空虚感におそわれました。それは、そのとき履いていたマルジェラの靴が、ベーコンビッツ (サラダなどにかける乾燥したベーコンのふりかけ)の色に染まってしまったからです。僕は、粘土の足型を探そうと泥に足を入れて、メゾン マルタンマルジェラのスニーカーを台無しにしてしまったのです。

上記のNicki Minaj (ニッキー・ミ ナージュ)の歌詞は、想像するとぞっとしますが、同時にとてつもなく贅沢です。ラガーフェルドの「本物の 贅沢とは、雨のなかで毛皮を着ることだ」という言葉のように。Minajの過激なラップ 歌詞では、究極の贅沢とは、ひどい色(ベーコンビッツのような色)のメルセデスベンツの最新モデルを買い、それを自慢することだと言って います。そうすることで流行のスタイルを超えるのです。誰かがこんなことも言っていました。「本物の贅沢というのは、それがどんなにひど い代物か気付かずにいることだ」と。

SANAAについて

Clay Feet のそばにある2つの彫刻作品は、東京にあるSANAAの森山邸に訪れ たいと思ったことがきっかけでうまれました。森山邸は、2005年以降、世界で もっとも多く注目されている住居建造物のひとつです。本展の彫刻は、現代的な住居におけるプライバシー、アート作品としての構造、解釈と その価値にかんする考察です。森山邸の写真や文章を見て、理想のイメージを抱き、実際に建物を観るまでに、心境にどういう変化が起きるの かということに注目をしました。建築において「空間を体験する」ことは、最重要なのです。

建築の世界では、写真資料が出回ってしまうため、実際に空間を経験することもなく、素材の質や 朝5時の光の射しこみ方も知らないまま、その建物について理解した気になっている人がたくさんいま す。これは大変損なことで問題だと思います。しかし、現代的な建築が注目を浴びるのは、写真が出回るからであり、またそれでさらに人々の 注目をあつめ……出口のない悪循環です。

僕は、専門家や一般の人々がSANAAの建築や森山邸 に対してどう考えているのか調べるために、関連画像や文章を検索しました。人々が抱いているイメージはどんなものか、そのイメージは実際 の建築経験にどう影響を及ぼしているのか。そのプロセスのなかで心境にどんな変化が訪れるのだろうか、と考えていました。そして、調べて いるうちに僕は自分なりの解釈を持ちはじめました。

そして、先週、いよいよ実際に森山邸へ向かいました。よく晴れた気持ちのいい日でした。森山邸 のある通りまで来ましたが、カメラをいじりながら歩いていたので、転びそうになりました。その時、ふと庭に停められたスクーターバイク や、妙に目立つステンレスのレターボックスが視界に入りました。顔をあげると、ある窓の向こうにキッチンに立つTシャツを着た30代くらいの男の 人が見えました。その窓の前を歩いて通りすぎようとしたとき、その男の人はちらりと目が合いました。お互いに恥ずかしそうな顔をしていた と思います。僕はそのまま立ち止まらず歩き去りました。何が起きたのか頭の中で整理できないほど一瞬でしたが、ロマンチックな瞬間でし た。でも、そのせいで僕はほんの20秒間しか森山邸の前にいませんでした。しかし、その20秒ほどの間に森 山邸に漂う生活感を垣間見ました。

あらかじめ抱いていたスタイリッシュなイメージとは裏腹に森山邸から滲み出る生活感を見て、僕 は少なからずショックを受けました。理想と現実のギャップを実感しました。こうして僕の森山邸訪問は、ロマンチックでありながらも、ある 意味、20秒の間にショックを受けたきまりわるい失敗に終わりました。

Critique or Gesture: Is that the alternative?

森山邸のような家に暮らすとはどういうことなのでしょう?つまり、現代建築文化として価値が高く、 世界が注目するクールな建物に暮らすとはどういうことなのでしょうか。プライベートでありながらパブリックでもある場所で、日常生活や家 族のだらしない部分を他人に目撃されうる生活にちがいありません。
森山邸の生活感のなかでもっとも印象的だったのは、庭のホースでした。ホースはただの物体であると 同時に、日用品の代表でした。そこで人が生活しているということをはっきり主張していました。僕が見つけた資料の中で、もっとも実際の森 山邸を伝えているのは、一般の人々が投稿した森山邸の動画でした。概して映像のクオリティは低いものが多いですが、僕の見た森山邸の現実 に近い姿が捉えられています。正式な撮影用に整えられたきれいな状態とは程遠く、手入れされていない庭の草、無造作に置かれたホース、サ ンルームに干されている洗濯物、キッチンで皿を洗う住人などが映っているのが見えます。森山邸は構造的にも素材的にも透けて見えるので、 こうした人々の生活がパブリックに開放されてしまいます。
今回の彫刻作品は、こうした経験に基づく、image(イメージ)、representation(写 真や文章などの資料)、experience(実際に森山邸に行ったこと)にかんする批評の終着点です。Issey Miyake と Comme des Garçon BLACKのショッピング バッグに流し込まれたコンクリートの彫刻作品には、個人的なリサーチと集合住宅における僕なりのロジックが込められているのです。

ジャケットについて
2枚のジャケット を展示しています。どちらもComme des Garçonのブレザージャ ケットのパターンです。1枚は、映画「マイアミ・バイス」(監督:マイケル・マン、日本公開2006年)の有名な ボートのシーンで、コン・リーが着ていた黒いウールのパワースーツを参考にしました。そして、そのファブリックには森山邸の画像をプリン トしました。あまり写りのよくない画像ですが、あとでパターンメーカーがさらに手を加え、パネルをつくります。ちょうど、イザベラがソ ニーと夜をともにしたあとに、”This is past a bad idea” (こんなの、 バッドアイディアの域を超えているわ)と言いましたが、そういうことなのです。もしくは、ベーコンビッツ色したメルセデスベンツと同じく らい醜いはずです。もう1枚のComme des Garçonパターンの白いジャケットの素材は、安価なコットンドリルです。本展が始まるまで、僕はスタジ オの中でも、東京で外に出るときも、ずっとこの白いジャケットを着て生活しました。白を纏って生活する、つまりSANAAの建物で暮らす イメージです。


ジェイム ズ・ドイチャー
2011年 1月




引用

Isabelle Graw, High Price: Art between the Market and Celebrity Culture, Sternberg Press, 2010

Nicki Minaj, Gyptian Ft. Nicki Minaj (Hold Yuh Riddim), 2010

Tom Holert, 
CRITIQUE OR GESTURE: IS THAT THE ALTERNATIVE?, Texte Zur Kunst, Issue Nr. 80, 2010

A house which is a an object of strong contemporary cultural value and an object of desire and ‘coolness’.

fabriciopeixoto, ARCHITECTURE - Ryue Nishizawa - Moriyama House,, www.youtube.com/watch?v=AhPPPJo6brI, 2009

Sonny Crockett's Boat in Miami Vice (white paint and labeled "Mojo") is a MTI (Marine Technology Inc.) 40 Series with two Mercury 575 hp Engines fitted. 160 mph (260 km/h). In the correct sense it is an Offshore Catamaran.

Miami Vice, Dir. Michael Mann, Perf. Gong Li, 2006, DVD, Universal Pictures